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今年の夏休みは、世界遺跡に登録された
石見銀山が大人気になった……というのは
各報道で報じられていましたが、世界遺産になると
観光客が一気に増えて、メリットも多大なんですよね。

だから今はいろんなところが世界遺産に認定されようと奮闘しているようで(^^;)。

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たとえば、先に世界遺産に認定された石見銀山は、
今でこそ、資源のない国・日本にして、江戸時代には世界有数の
銀の産出をしていたんですよね。

石見銀山は、戦国時代後期から江戸時代前期に
かけての日本最大の銀山。

鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、
同市仁摩町や温泉津町にも広がっていました。

日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に
国指定の史跡に登録され、2007年(平成19年)に、
ユネスコの世界遺産への登録が決定。

石見銀山は、鎌倉時代末期に銀が出たという伝説もありますが、
本格的に開発したのは博多の商人、神谷寿貞の頃。
1526年(大永6年)、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出しました。

1584年(天正12年)毛利氏が豊臣秀吉に服属すると
銀山は毛利氏と豊臣氏の共同管理となり、
秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられました。

当時の銀産出量は世界全体の三分の一(その生産量の平均は
年間38トン程度であったと推測されている)に達し、
スペインのペルー副王領ポトシ(現ボリビア、世界遺産)の
セロ・リコと並ぶ銀産出地として西欧・中国でも有名になったほどです。

石見銀山は江戸時代前期にも日本の膨大な銀需要を支えた(銅も産出)ものの、
元禄期になると次第に産出量が少なくなり、
江戸末期にはほとんど産出しなくなってきます。

さて、そんな歴史を受け、日本政府は「東西文明交流に影響を与え、
自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」
として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録を目指し、
2001年に世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載。
2006年1月にUNESCO世界遺産委員会に推薦書を提出し、
紆余曲折の末に、世界遺跡に認定されました。

日本の世界遺産登録としては14件目。
文化遺産としては11件目、産業遺跡としては日本国内初の登録となりました。

まだまだこうした流れ、出てくる機運がありますね。注目です。

▼世界遺産石見銀山を歩く
 

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