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ドリカムに憧れ芸能界入りを志し、2000年12月6日、
エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビューした。
倖田 來未(こうだ くみ・本名は神田 來未子(こうだ くみこ)1982年11月13日・25歳)。
エイベックス・rhythm zone所属。身長154cm。
歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹。
先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。
華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、
その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、
『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に。
転機が訪れたのは、2003年に発売され200万枚売れた大作ゲームソフト
「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲。
7枚目のシングル曲でもあった『real Emotion/1000の言葉』が
オリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名度が急上昇。
元来太りやすい体質だったのが、当時の彼氏の励ましもあり
8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、
現在の「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、
10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃。
この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから
大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどが
マスコミによって大きく話題に。
2004年、本人も友情出演した映画「キューティーハニー」の
主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル
『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。
2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、
4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、
累計50万枚のヒットとなった。
ライブやPVではバストや美脚を意識した露出度が高い服装や、
バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、
その独自のスタイルが「エロかっこいい」「エロかわいい」
「エロカッコかわいい」と形容され世間を風靡したのは記憶に新しいところ。
2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が
初登場2位と自己最高記録を更新。
その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム
『BEST~first things~』が累計187万枚を記録。
この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となった。
その後、2005年12月7日から2006年2月22日まで、
原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする
世界初の試み"12週連続シングルリリース"が好セールスを記録。
音楽ファンからは、ベストアルバムのようなアルバムを
ほぼ半年に1回という驚異的なペースでリリースし続けたことについて、
「販売方法が商業主義的ではないか」と疑問視されたりしてますが、
まあ、あゆが落ち込んだところに稼ぎ頭として出てきたのは
ちょうど良かったのでしょうね。
まだ当分は頑張ってくれるんじゃないですかね~。
▼【 倖田來未 】2007年版カレンダー
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スケート選手は、日本では黒岩彰が有名でしたが、
その後は橋本聖子、そして最近では岡崎朋美あたりでしょう。
そんな朋美さん、最近幸せな結婚式を挙げられたばかり。
1994年リレハンメルオリンピック、
1998年長野オリンピック、
2002年ソルトレークシティオリンピック、
2006年トリノオリンピックと、4度の冬季オリンピックに
出場した岡崎朋美(本名:安武朋美【旧姓:岡崎】 1971年9月7日生まれ・36歳)。
長野五輪では日本女子短距離として初めてメダル(銅)を獲得し、
「朋美スマイル」で全国的な人気者に。
椎間板ヘルニアからカムバックし、ソルトレークシティ五輪500mで
当時の日本記録を樹立。
その後も第一線で活躍を続け、2005年1月には通算7度目となる日本記録更新(37秒73)を達成。
トリノオリンピックでは、日本選手団の主将を務め、
500mでは1本目、2本目共に38秒46をマークし、4位入賞。
常に限界を考えず、マイペースをモットーとしているため、
年齢をさほど気にしておらず現在も、次のバンクーバーオリンピックを目標にしている。
2006年12月の全日本スプリント選手権では9年振り3度目の総合優勝を達成。
2007年8月27日、婚約を発表。
2007年11月24日、富士急ハイランドにて結婚式を挙げた。
年齢による体力の衰えを感じさせないスケーティングで
2006年度全日本スプリントを総合優勝した際には、表彰式のプレゼンターである
先輩・橋本聖子が「表彰状……優勝、岡崎朋美、35歳!」とアドリブで読み上げ
会場内の笑いを誘った。
朋美スマイルはまだまだ続きそうですね。
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