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いや~、ソフトバンクにしては珍しい展開。
ガンダム携帯ですか。

ソフトバンクはそもそも、こういう方面には、ほとんど手を出してこなかったのと、
バンダイがソフトバンクで「最初に出す」という衝撃。

これは、インパクトありましたね~。

しかも10万円というのも、たいしたものです。
“シャア専用”ケータイ、予約受付開始──価格は新規10万円、限定5000人【ITMedia】

現状でソフトバンクが一番勢いのある
携帯だと、他社が証明したとも言えそうです。
※バンダイは今まで、常にナンバーワンと組む姿勢で
生き延びてきましたからね。まだまだいろんな形で人気の
「虎の子」のガンダムをバンダイが
最初に出すというのは、やはり異例かと。

さて、この「913SH G TYPE-CHAR(シャープ製)」は、
ご存じ「機動戦士ガンダム」の人気キャラクター
「シャア・アズナブル」をモチーフにデザインされたもの。

シャア専用ザクヘッド型充電台が標準で付属するという、
これまでにないアイテムは、実は、バンダイ ホビー事業部が
設計したもので、発売中の「1/12 ザクII」のヘッドをベースに
作られているものだとか。※ということは完成度が高いということですね。

ケータイは、充電台ザクヘッドにセットすると、
スクリーンセーバー機能によって、モノアイが点灯する
ギミックが付いていて、今回のお披露目の会場でも
デモンストレーションが行われたが、
ケータイの液晶を使って表示されたモノアイが左右に動いたり、
点灯と消灯を繰り返すなど、いろいろな動きが楽しめたそうで。

ザクヘッドはスナップフィット方式のキットとなっていて、
自分で組み立てる工程を味わうことも可能。

ケータイ本体のボディカラーには、シャアのシンボル色である
「C.A.Red(シー・エー・レッド)」を採用。
ジオン軍のマーキングや、作品中でザクIIを開発したジオニック社、
そしてモノアイシステムを開発したとされるグラモニカ社のロゴが
入っているなど、マニアもニヤリとする拘りに満ちている。

待受画面やアイコン、ボイスなどのオリジナルコンテンツが
プリインストールされており、総合的にガンダムの世界観や
魅力をグラフィカルに表現。

ガンダムマニアやシャアファンの熱い注目を浴びそうなアイテムですね~。

こちらのアイテムも悪くない。
シャア専用にザクII型…“モビルスーツケース”登場

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今年の夏休みは、世界遺跡に登録された
石見銀山が大人気になった……というのは
各報道で報じられていましたが、世界遺産になると
観光客が一気に増えて、メリットも多大なんですよね。

だから今はいろんなところが世界遺産に認定されようと奮闘しているようで(^^;)。

世界遺産へ“オガサワラ”PR 新種の陸産貝発見も【iza!】

たとえば、先に世界遺産に認定された石見銀山は、
今でこそ、資源のない国・日本にして、江戸時代には世界有数の
銀の産出をしていたんですよね。

石見銀山は、戦国時代後期から江戸時代前期に
かけての日本最大の銀山。

鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、
同市仁摩町や温泉津町にも広がっていました。

日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に
国指定の史跡に登録され、2007年(平成19年)に、
ユネスコの世界遺産への登録が決定。

石見銀山は、鎌倉時代末期に銀が出たという伝説もありますが、
本格的に開発したのは博多の商人、神谷寿貞の頃。
1526年(大永6年)、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出しました。

1584年(天正12年)毛利氏が豊臣秀吉に服属すると
銀山は毛利氏と豊臣氏の共同管理となり、
秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられました。

当時の銀産出量は世界全体の三分の一(その生産量の平均は
年間38トン程度であったと推測されている)に達し、
スペインのペルー副王領ポトシ(現ボリビア、世界遺産)の
セロ・リコと並ぶ銀産出地として西欧・中国でも有名になったほどです。

石見銀山は江戸時代前期にも日本の膨大な銀需要を支えた(銅も産出)ものの、
元禄期になると次第に産出量が少なくなり、
江戸末期にはほとんど産出しなくなってきます。

さて、そんな歴史を受け、日本政府は「東西文明交流に影響を与え、
自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」
として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録を目指し、
2001年に世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載。
2006年1月にUNESCO世界遺産委員会に推薦書を提出し、
紆余曲折の末に、世界遺跡に認定されました。

日本の世界遺産登録としては14件目。
文化遺産としては11件目、産業遺跡としては日本国内初の登録となりました。

まだまだこうした流れ、出てくる機運がありますね。注目です。

▼世界遺産石見銀山を歩く
 

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